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―その後、野中さんは「青二塾」という俳優や声優の養成学校の東京校に進まれるんですね。青二塾を知ったきっかけは何だったのですか?
野中藍 当時好きだった声優さんが「青二プロダクション」の所属だったから。だから青二しか知らなかったんですよ(笑)。それと、声優になるなら「東京が本場!」って勝手に思い込んだりもしていたので東京校にしました。
―声優の養成学校に行くということに、ご家族は賛成してくれました?
野中藍 両親は賛成してくれたんですけど、おばあちゃんが反対してました。今でも「帰ってきなさい!」なんて言われます(笑)。
―青二塾のレッスン内容はどんなものだったんですか?
野中藍 集団でやるレッスンが多かったですね、それは今でもとっても思い出深いです。すごく青春しました。人生かかってるので必死でした(笑)。レッスン以外でも、あいさつや礼儀、あとお掃除をキチンとしたりとか、そういう規律の面もしっかりと教えられました。体調管理ひとつとっても、高校生のころはテストの時に風邪をひいたって、自分ひとり痛い目に遭えばすむじゃないですか?青二塾の場合は団体レッスンなので、みんなに迷惑をかけてしまう。だから健康にすごく気を付けるようになりましたよ。特に日舞(日本舞踊)の授業なんて、一人欠けるだけで先生から「今日の女子の練習は中止!」っていうお達しが来る(笑)。
―ひゃー、厳しいっ!
野中藍 日舞の先生は特別厳しかったです(笑)。
―声優と日本舞踊って、一見何の結びつきもないように思えてしまうんですが、違和感はなかったですか?
野中藍 私はもともと演劇が好きだったし、あとクラシックバレエを習っていたこともあるから、日舞や洋舞(バレエやモダンダンスなどの西洋舞踊のこと)がレッスンにあるのは別に違和感はなかったですよ。
苦労したことといえば、私、福岡県の出身なので、なまりが抜けるまでは大変でしたねー。
ハイ、すごくなまってました(笑)。
―いろんな地域の方がご覧になると思うので、なまりを直すコツみたいなものがあればアドバイスを!
野中藍 まずは東京の子をつかまえて、自分のイントネーションを聞いてもらうのが手っ取り早いですね。「ねえ、今の正しいっ!?」とかいって(笑)。自分では正しいと思い込んでいても、他の人に聞かれるとやっぱり笑われてしまったり。だからチェックしてくれる友だちを作るのは結構大事ですよ。あと、発音だけじゃなくて言葉そのものが違っていたりすることもあるので、あの時代に辞書を引くクセもつきました。
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